2014年 02月 02日
別れることについて語るときに僕の語ること
偉そうな事を語れる身分では決してございませんが、昨今僕のまわりでよく目にする記事について生意気にもちょっとだけ私見を述べさせて頂きます。
人は大切な人や愛する人を喪った時、亡き人との思い出に耽り悲しみや様々な想いの中で自身の気持ちを整理させ、あるいは何かしら自身に折り合いをつけ再び明日を迎えるものだと思う。
誰もが抱いてる故人との美しい思い出を見知らぬ他人が閲覧できるネットの世界で安易に語るものでもないし、偲ぶ気持ちが僅かでもあるのなら1人きりの部屋の片隅でそっと手を合わせ、在りし日共に過ごした幸せな時間の記憶は心の奥に大切にしまっておくべきとも考える。
故人の意に反し死を公表される事は、公人でもない我々にとって旅立ってまでも晒し者にされる拷問にも等しい行為とも言える。1〜2度なら理解の範疇だが幾度となく語られるそれはどんなに綺麗な言葉を並べ、どんなに美しい文脈で結んだとしても語る者の身勝手な自己愛且つ自己陶酔以外の何物でもない。事情を知らない他人はその行いに嫌悪感すら覚えるだろう。
様々な価値観や考え方もあるとは思いますがあくまで僕自身の私見です。悲しみやさびしくて切ない気持ちは切り離せませんが、別れてから騒ぐのではなくて今まわりにいる人達を大切にしたいと思うんです。
人は大切な人や愛する人を喪った時、亡き人との思い出に耽り悲しみや様々な想いの中で自身の気持ちを整理させ、あるいは何かしら自身に折り合いをつけ再び明日を迎えるものだと思う。
誰もが抱いてる故人との美しい思い出を見知らぬ他人が閲覧できるネットの世界で安易に語るものでもないし、偲ぶ気持ちが僅かでもあるのなら1人きりの部屋の片隅でそっと手を合わせ、在りし日共に過ごした幸せな時間の記憶は心の奥に大切にしまっておくべきとも考える。
故人の意に反し死を公表される事は、公人でもない我々にとって旅立ってまでも晒し者にされる拷問にも等しい行為とも言える。1〜2度なら理解の範疇だが幾度となく語られるそれはどんなに綺麗な言葉を並べ、どんなに美しい文脈で結んだとしても語る者の身勝手な自己愛且つ自己陶酔以外の何物でもない。事情を知らない他人はその行いに嫌悪感すら覚えるだろう。
様々な価値観や考え方もあるとは思いますがあくまで僕自身の私見です。悲しみやさびしくて切ない気持ちは切り離せませんが、別れてから騒ぐのではなくて今まわりにいる人達を大切にしたいと思うんです。
by balett_salon
| 2014-02-02 10:15
| column